母親は、大きな病気を患っているので
もう10年近く前に介護認定を受けました。
一時は、要介護3にまで上がりましたが、今は要介護1です。

身内が認定を取る前は、1,2,3の基準も知りませんでしたが
重くなっていくごとに数字が増えます。
3より1の方が軽いということです。

3になった母にとって介護認定は、自然な流れでしたが
父は、そう簡単にはいきませんでした。
薬の量も多く、それこそ副作用も起きていますが
それでも飲み続けなければいけなのは大変な事だと思います。

身体に痛みもあるでしょうし
後遺症から片足を少し引きずって、握力、腕の力も減りました。
十分に不便を感じているはずですが
頑として介護認定は拒否を続けてきました。
だから、母が出来にくい家事もいっぱい手伝っていました。
自分の事はもちろん、家の事を頑張ってこなしていました。
仕事をしていた頃は、一切を母に任せ家の事は何一つしなかった父が、です。

それだけ、「人の助けが必要な自分」になりたくなかったのかもしれません。

でも、介護って
夫婦の場合、どちらかしか認定を取っていないと
共用部分は援助してもらえないのですって。
母しか認定を受けていないと
家の中は母の部屋のみの掃除で、共用のキッチンなど水回りはできないという事です。
父も高齢ですし体力以上の頑張りは、無理が来ますよね。
圧迫骨折を期に
母のケアマネさんと相談しながら、父にも認定の申し込みを説得してきました。

高齢の両親が自宅で暮らし続けるには
離れて暮らす私達子供も安心していられる為には
地域の福祉に協力をお願いするのが良いと判断しました。
父に頷いてもらうまでに3年かかりました。

私は離れて暮らしているので
熱心に勧めてくれたのはケアマネさんでした。
決めた時に父が言った言葉は、「情けないな。」だったそうです。
それを聞いた時は本当にせつなかったです。
「人の助けが必要な自分」を自ら認めることは、父には辛かっただろうと思います。

ぎりぎりまで自分で頑張ってきた父ですが
納得したら速かった。
利用できるディケアにも行く気になって
まだ先の話なのに
上靴やら持ち物をいつでも行ける様に用意していました。
多くを語らず、いつもの前向きな父の姿です。

でも、父がポツリと言いました。
「これで、なつみも身体を大事にできるな」
往復7~8時間、病院の付き添いのために日帰りを続ける私を気にかけていました。
ちょっと今も涙が出そうです。
父の背中を押したのは、娘を気遣う優しさだったのかもしれないと思えるのです。

小さい頃から、お父さんが大好きな私です。
付き添いの為の日帰りは、しなくなるけど
仕事で連休取って、一泊で帰省する事は増やしていきたい、そう思います。



親の愛は深しです。
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